日本をいかに弱体化させるか、日本国憲法の目的。


☆制服向上委員会が安保法案批判「平和の持続を」
日刊スポーツ 7月28日(火)22時54分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150728-00000161-nksports-ent

「日本のアイドルといえば、かわいい歌を歌って皆にあこがれられる存在。でも、私たちはいろんなことを発信することの大切さを感じながらアイドルをしている」 原発再稼働や安全保障関連法案など、安倍政権の方針に反対する異色の女性アイドルグループ「制服向上委員会」のメンバーが、2015/07/28、東京・日本外国特派員協会で会見し、安倍晋三首相の方針を厳しく批判した。 「他人のケンカに首を突っ込むことを美しいと思う人が、国を動かしている」「日本政府は、原発を再稼働しようとしている。戦争法案も強行採決された。平和な日本を持続させるため、アクティブに行動したい」と強調。 「よく『子どものくせに』と批判を受けるが、何も言わないことは賛成意見と同じ。戦争経験のない私たちでも、意見は言える」と、訴えた。




まず、自分らの平和だけを保持し、他国を助けない日本など、日本ではない。それは、堕ちた日本である。 そして、『子どものくせに』と言う人は愚かです。愚か者は、何をどれだけ説明しても「何歳になっても愚か」なのですから若いから駄目だということはありません。 「原発再稼働」はたしかに問題だが、大事なのは「監視の目を怠らないこと」に尽きる。世界はエネルギー問題で動いているのだから、世界の原発を「日本の和の精神」をもって、正しい秩序でリードしていく必要が在る。日本だけではなく世界の問題だからだ。 とくに、お隣の中韓朝は、「国民の民度が低すぎる」として、世界中で有名である。すぐお隣の韓国では、使い倒した原発部品の錆を落とし、塗装し直したものが使用されているそうだから恐ろしい。

「安全保障関連法案」の成立、そして「憲法改正」は、喫緊の課題だ。「集団的自衛権の行使」は、アタリマエだ。友軍から「援助要請されて断る」って何だそれ。(笑) いや笑い事ではない。実際そういう国があるのだ。日本だ。 日本は、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)によるマインドコントロールの餌食になり、明らかに「国際法違反」である大空襲や原爆で、民間人を大虐殺されたにも関わらず反省しているという阿呆な民族である。(笑) 制服向上委員会の皆さんは、こういった事実を、ゼロから勉強し直して欲しい。 世界で正当に集団的自衛権を放棄しているのはスイスとオーストリアだが、2国とも徴兵制。国民皆兵体制だそうです。「強行採決」というのも、マスコミが勝手に付けた言い掛かりなので、気にしないでくださいね。自民党の強行採決数は、前政権の、民主党時代の1/20程度らしいですよ。(笑)


↑誰が何を謝っているのか不明な 原爆死没者慰霊碑



↑東京大空襲でのB-29爆撃機344機による爆撃は、まず40k㎡の円周上に焼夷弾を投下し、
「住民が逃げられないようにした後」その円の内側を塗りつぶすように約40万発(総重量2000トン)もの焼夷弾が投下され、
逃げ惑う市民には超低空のB-29から機銃掃射が浴びせられた。
写真は、一瞬にして劫火に焼かれた母子の死体。子を背負って逃げていた母親の背中は、焦げていない。



0.満州の権益で、日米は対立した。

米国は「植民地主義」の歴史の中で最後に遅れて登場した。アジアに目を向けた頃には既に欧州の先進国にほとんど占領されており、米国は「満州」に矛先を向けた。当時の米大統領ルーズベルトは、そもそも人種偏見が強く、白人至上主義であるゆえに、唯一白人に勝った日本を恐れ憎んでおり、日本の満州国統治の成功を見て、突然米国の鉄道王ハリマンを差し向け共同経営を提案する。 日本にすれば、ロシアの南下を防ぐため戦った「日露戦争」で失った英霊と巨額な資金を投入しており、横取りする米国の提案を拒否する判断を下した。 後発国であった日本は世界市場から締め出されており、したがって欧米列強に対抗するため、欧米列強の手が届いていない満州の確保が、原料供給地として、あるいは輸出製品の市場として「生命線」だった。 しかしこの判断が、米国との開戦の端緒となる。


満州


1.大東亜戦争での日本の戦いは、「自衛戦争」と言われている。

「もし我々が日本を挑発しなければ、決して日本はアメリカを攻撃する事は無かった(米第31代大統領ハーバート・フーバー)」
 連合国が日本に対し行なった経済封鎖(ABCD包囲網)は日本に対する戦争行為に他ならないものだった。 しかし、日本はその特有の忍耐力を持って、円満にこの争いを解決しようと試みたが、しかし、経済封鎖は強化され軍事的包囲網の脅威と相まって、遂に、日本は自国存立擁護の為に、最終手段として戦争へ訴えざるを得ない道に追い込まれた。日本はこの連合国の経済封鎖を持って直ちに『宣戦布告』と解釈する事無く、平和的解決を交渉にて解決する様に忍耐強く追究していた。日本の無罪を主張したインドのパール判事は、「このような無茶苦茶な要求を突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも、矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」と述べた。 フーバーは、「ルーズベルト大統領は真珠湾奇襲を知っていた」とも書き残している。日本政府の計画では、「開戦の30分前」には米国コーデル・ハル長官に通告を渡すことになっていたが、実際には「攻撃から55分」も経ってから渡すということになった。


真珠湾攻撃は自作自演

日本が卑怯な奇襲をしかけてきた アメリカは この戦いに必ず勝つ


2.リメンバー・パールハーバー???

当時、英国はドイツに攻められ、首相チャーチルは、米国に救援を依頼していたが、米国は、第一次大戦の傷が癒え、そして大恐慌からようやく立ち直ったばかりであり、ルーズベルトは、「国民を戦場に送らない」選挙公約をしていたため、再三に渡る依頼を断っていた。 ここで、日本に「最初の一発」を打たせれば、日本と日独伊三国同盟を結ぶドイツと開戦できる。米国の戦争の歴史を振り返れば、リメンバー・アラモ、リメンバー・メイン、ルシタニア号事件、トンキン湾事件、9.11同時多発テロ、いつも、敵の攻撃を誘ったり自作自演を行ったりして、国民を戦争に引きずり込むというのが常套手段である。 真珠湾奇襲後、ルーズベルトがチャーチルに「我々は同じ船に乗りました」と報告した際、チャーチルは手を叩いて喜んだという。 そして、目出度く大東亜戦争が開戦した。日本の宣戦布告は何故遅れたのか。ここに、「日本が悪役となるトリック」が存在した。「日本は卑怯だ。叩きつぶせ!」という国民の大合唱を起こすためには、アメリカの日本大使館員が、“宣戦布告”文書を、「真珠湾攻撃の後に届ける」必要があった。 英国海軍軍人ラッセル・グレンフェル大佐「今日、いやしくも合理的な知性のある人で、日本が米国に対して悪辣な不意討ちを行なった、と信ずる者はいない。攻撃は充分予期されていたのみならず、実際に希望されていた。日本は、アメリカ大統領によって合衆国を攻撃するように仕組まれたのである」。




チャーチルとルーズベルト


3.日本国憲法は誰が書いたか。

1945年(昭和20年)終戦。 その翌年、大日本帝国憲法に代わり日本国憲法公布。当然その内容は、日本を完全に「去勢」するものだ。 日本側が、マッカーサーの指示で草案を作成(松本草案)、何度も提出するが、占領政策を管理する「極東委員会」で、中国やソ連の代表が「再軍備に繋がる」と危機感を持ち否定され、結局、米国ホイットニー民政局長のもと、GHQの24名のスタッフが、「わずか6日間」で「英文の草案」を作成し、「これを受け入れなければ天皇の命も保障できない」と脅され、幣原(しではら)首相は、GHQ草案を受け入れることを決断、「いかにも日本人が自主的に作り上げた憲法であるような体裁」をとるため、当時の日本の国会で審議され承認された。 GHQは、米政府の指示のもと「憲法が押し付けられたものであるという事実を日本国民には覆い隠し」自主的に定めたと錯覚させた。日本をいかに弱体化させるか、「日本を再び立ち上がることの出来ないようにする」のが占領政策のすべてである。

天皇制は、最上位を意味する「ヘッド」が、象徴を意味する「シンボル」に書き換えられ、「自衛戦争まで否定」されたが、「武力による威嚇や武力の行使を放棄する一文」を加えて、侵略戦争の否定を明確にすることで回避。条文は「国権の発動たる戦争は廃止。他国との紛争解決の手段として、武力による威嚇または武力の行使は、永久に放棄する。」 9条に謳われる「武力の放棄」は、「天皇を守るための避雷針だった」(学習院大学大学院法務研究科教授・青井未帆氏)。

しかし、「ハーグ陸戦条約43条」では、「占領地の現行法規を尊重して」とあるため、憲法の成立後も「国際法上無効」だと唱えられたが、現憲法は、施行されてから現在まで一度も改正されておらず、これには押し付けた側の米国でさえ驚いている。(笑) 「占領軍が憲法を押し付けられた例」は日本の他にはドイツがあるが、ドイツはそれを認めず、戦後「58回」も改正している。(WiLL/2013/10/P41) 現憲法は「国民主権を高らかにうたっている」が、「国民主権に反して」制定された。天皇の象徴化/国民主権/武力の放棄、これら施策の目的は、「大日本帝国を去勢する一点」に集約される。 マッカーサーは後に、「当初は日本を工業国から農業小国に転換し、アメリカの市場とするつもりだった」と述べており、財閥も解体させられた。「大東亜戦争」という呼称も、「太平洋戦争」とするように統制された。


4.マスコミや指導者も、憲法改正を希求していた。

日本の指導者の多くや、マスコミもをみな(朝日新聞、社会党、共産党ですらも)憲法改正を要求していた。 朝日新聞は「昭和28年まで」改憲を唱えていたが、翌29年になると、「一転して憲法擁護」の立場を始めて強く打ち出した。 敗戦から時間がたち、米国の軍事保護にすっかり馴染むにしたがって、「国家意識」が希薄になり、護憲主義が力を増すようになってくると、次第に朝日新聞は病的ともいえる憲法擁護主義に傾いていった。論調は朝日得意の「いつか来た道を再び歩むのか」「戦前の侵略国家に戻っていいのか」だった。 朝日新聞だけでなく、マスコミの多くが戦後のアメリカのプロパガンダに毒され、左翼思想に染まり、正しい筋道を見失ってただ護憲を叫んでいれさえすればいいのだという錯覚に陥っていった。これがまた国民の世論を形成し、ますますマスコミは迎合主義から逃げ出せなくなり、現行憲法は不可侵のものだという考え方がさも当然のように幅をきかした結果、改憲というとアレルギー的に反発するという風潮が出来上がった。

憲法改正反対を声高に叫ぶ連中の中には「9条があるから平和が保たれてきたし、現在の豊かさを築いて来た」などと真顔で言う馬鹿がいるが、それは明らかな妄想である。日本国憲法があるからソ連は日本本土に侵略してこなかったのではなく、米軍が駐在していたからである。 米国は、日本の牙を抜いた上で、日本を「共産主義の侵略に対する防壁」として利用したわけだ。 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というわけのわからないことが謳われている。これはつまり、日本国民の「生存」を他国(支那、朝鮮[北朝鮮、韓国]、ロシアといった極悪国家)に委ねるという恐ろしいこと。そういった国々の「公正と信義」を「信頼」することなどできるわけがない。このような馬鹿げた前文は即刻削除されるべきだろう。主権の発動がないことをこの前文が証明している。主権国家ならこんなことは絶対に言えない。

しかし、戦後に首相に抜擢されたのは、戦中に「親欧米派」として軍部に睨まれ、一時憲兵に身柄を拘束される憂き目にも遭っていた「吉田茂」だった。 1952年、「サンフランシスコ講和条約」が発効、これをもって日本は主権を回復。このとき同時に結んだのが、米軍の駐留継続を認める「日米安保条約」である。 「自主憲法制定の機会」があったとすればこのときだったが、吉田は頑としてこれを受けつけず、日本が真に独立国として再出発する好機を逃した。吉田は、戦後復興の眼目を経済復興に定め、防衛をアメリカに依存し、負担を軽減することによって経済的に復活を目指そうとした(吉田ドクトリン)。 この方針の元来の目標は、国際情勢をうまく利用し国際社会における日本の存在感を増すことであった。このように、元来吉田がとったこの外交方針は、平和主義に基づくものではなく、むしろ明治維新以降の日本で主流となっていた、国際関係に対する現実的なアプローチだった。 この方針によって、日本が戦後の食糧危機を脱し未曾有の経済成長へと進んだのは事実だが、その代償は大きく、経済優先の路線が日本人の「正気」を次第に奪っていった。


5.「日本を取り戻す」

安倍総理の祖父、岸信介(きしのぶすけ)は、親欧米派の吉田に対抗し、「日本を取り戻す」べく、「自由民主党」を率いて改憲に向けて動き出した。 吉田が交わした戦後の安保条約は、「米軍がどこでも勝手に基地を作れるが、米軍は日本を守らない」といった、米国による奴隷安保だったため、岸は、米国と交渉し、1960年「まず日本と事前に相談しなければならない」「米軍は日本を守る義務がある」といった内容に改正させた。しかし国民はそれが理解できずに、結局、憲法改正まで否定されてしまった。当時デモに参加していた評論家の田原総一朗は、「それまでの戦後安保」と「岸安保」の違いを知らなかった、実体を読んでもいなかった、と言う。当時、彼らは「米国の戦争に日本を巻き込むためのものだ」と認識していた。(戦後70年 ニッポンの肖像-政治の模索- NHK総合1 2015/7/18土 21:00 0:34.40) 岸は、日本を取り戻すために、何としても憲法を改正したかった。「安保改正」は、国民に対するサービスで、その後に支持率が上がり、その勢いで憲法を改正する。 しかしそれが理解されず、結局、岸内閣は倒れ、岸は、憲法改正の望みを中曽根康弘に託すが、すでに「豊かさ路線」がこの国を覆ってしまっていた。 しかし今、戦争を知らない世代に、改正自立を言い出す人間が出てきている。喪失したかに見えた日本人の魂は、地下水脈として、今も途切れずに流れている。


FACTORY

吉田茂と岸信介 豊かになればそれでいいとする吉田と、日本の、日本人による、真の自立/自律を求めた岸



憲法改正は、
日本が 真に戦後から脱却し、日本人としての
自信と誇りを持つのに必要だ
テレビが普及し 食料が豊富になり 所得が高まる
だけでは 決して自立とは言えない

岸信介





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日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。

「反日プロパガンダに惑わされず、誇りある国になってほしい」
ヘンリー・S・ストークス(77)=元NYT東京支局長
2015.8.1 08:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/150801/prm1508010018-n1.html

☆日本は白人支配からアジアを解放した

 〈半世紀にわたり日本に滞在、日本外国特派員協会で最古参だ。著書「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社)は、「在日外国人記者がはじめて書いた正しい近・現代日本史」などと話題を集め、出版依頼が相次いでいる〉

 多くの読者の皆さまに感謝します。「東京裁判は勝者の復讐(ふくしゅう)劇にすぎない」「いわゆる『南京大虐殺』はなかった」と世界の既成概念に欧米人で初めて挑戦したことに興味を持っていただいた。ただ私は歴史に対して公平でありたかったのです。〈初めて日本に来たときは、戦勝国史観に立ち、「日本は悪かった」「東京裁判は正しく、南京大虐殺はあった」と信じていた〉

 滞日が長くなるにつれて、霧が晴れるように米国が押しつけた歴史観が誤りであることを悟り、歴史的真実がどこにあるか認識できるようになりました。皆さんも反日国家のプロパガンダに惑わされず、歴史の真実を知って、日本が誇りある国になってほしい。


〈東京発の欧米特派員の報道には偏向した内容が少なくない。彼らの一部は日本を「肯定」する最長老に「修正主義者」のレッテルを貼った〉

 滞日経験が浅い彼らのほとんどが勉強不足です。昨年5月に私の本について「南京虐殺否定 無断加筆 ベストセラー翻訳者」との捏造(ねつぞう)記事を書いた共同通信の若い米国人記者も、創作小説にすぎないアイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」を史実のごとくに信じていました。米東部の名門大学を卒業したエリートですらこのレベルです。 私こそ「リベラル」。人種的偏見や差別に反対で、草の根の声を大切にしています。真実を壊す嘘を受け入れられません。

 〈「日本は侵略した」と欧米や中国、韓国、日本の学者まで主張する〉

それは「連合国側の史観」。敵側の戦時プロパガンダです。確かに日本が欧米諸国のアジア植民地に軍事進攻したことは事実です。しかし、それ以前に侵略して植民地にしたのは欧米諸国です。日本は欧米の植民地を占領し、日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立へ導いた。アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。西洋人は世界史を見直すべきです。日本はアジアを独立に導いた「希望の光」。「侵略」したのではなく「解放」し、独立に導いたのです。 アジア、アフリカ、北米、南米、豪州を侵略した西洋は謝罪していません。なぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか。白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、有色人種が白人を侵略するのが「犯罪」とはナンセンスです。

☆ジャパニーズ・カルチャー・アズ・ナンバーワン

 〈フィナンシャル・タイムズ初代東京支局長として来日したのが東京五輪が開催された昭和39(1964)年だった〉

 オックスフォード大学在学中に米国やソ連など世界を訪ねました。どの国も半日あれば把握できましたが、日本だけは例外でした。1940年代後半から60年代前半に急速に発展した日本人の行動の源がどこにあるのか。それを知りたくて日本に来ました。 高度成長の入り口にあった日本に暮らすうちに日本が好きになりました。巨大なロケットが発射されたように急速に動き出す。そんなミステリアスな魅力がありました。半世紀で10回ほど離れる機会がありましたが、その度日本のすばらしさに触れてとどまりました。

 19世紀以来、浮世絵に始まり日本建築までジャポニズムは世界文化に大きな影響を与えています。 東日本大震災で被災者が救援物資の配給を受ける際、他人を思いやる人徳の高さがありました。暴動も略奪もない。奇跡のような光景に世界の人が感動しました。「思いやり」を大切にする日本の文化でしょう。 地下鉄に乗ると、私が体調が優れないと見て取ると、誰彼となく席を譲ってくれます。それも相手を慮(おもんばか)って。日本には洗練された文化の高みがあるのです。

 〈日本と英国は同じ島国として共通点がある。それゆえ日本の風土に順応できた〉

 シャイで注意深く節度があってあまり直接的に発言しない点など英国人は大陸の欧州人より日本人と共通しています。共に「恥の文化」です。素材の味を大切にする料理も同じ。私は畳で横になり、綿の浴衣を着ることが心地よいです。


 22歳の独身英国人男性が来日して仕事をして日本を好きになれば、100人中99人が日本女性と結婚します。日本女性が素晴らしいからです。日本女性と結婚して正解だった、賢明な選択をしたとみな思います。私も、あき子と結婚して40年、素晴らしい人生です。 クエーカー教徒で平和主義者ですが、「国を護(まも)るために軍隊を持つこと、国を護るために命をささげた方々を顕彰すること」は当然です。それでハリーが生まれたとき(昭和60年)、靖国神社に家族でお参りしました。

☆三島が訴えた米呪縛からの脱却

 〈日本にとどまった理由の一つが作家、三島由紀夫との出会いだった。今年は生誕90年、自決して45年を迎える〉

 三島は当時、昭和天皇を除くと、世界で最も話題性のある日本人でした。「日本の魂」に触れようとインタビューしました。彼の率直さが好きでした。


〈1969(昭和44)年3月、三島の富士山麓雪中演習に外国人として初めて同行した〉


 「日本はどう生きるべきか」。三島は苦悩の中にいました。彼の指摘は本質を突いていました。彼を通して日本が抱える問題と進むべき方向性が見えました。三島は、米国によって日本が「属国化」されたことを嘆いていました。

 〈1970(昭和45)年11月25日、三島が自決した日、マニラに向かうはずだった。台風で飛行機が欠航となり、自決を知った〉

 茫然(ぼうぜん)となりました。中途半端な行動をしない男で、死ぬといえば、どんなことがあっても死ぬと思っていたからです。1カ月前に「この世の終わり」と書かれた手紙が送られました。何度もサインを出していたのに見落とした。「友達を見捨てた罪は許すべからざるものだ」といまだに自己批判しています。 三島が檄文(げきぶん)で訴えたことは大筋で正しい。しかし西洋では理解されていない。事件後、英語で三島由紀夫伝を書きました。邦訳され、ギリシャ語にも翻訳されました。

〈昨年11月、三島ゆかりの熊本・桜山神社を訪ねた。ラストサムライ、「神風連」の志士がご祭神として祀(まつ)られている〉

 訪問してわかりました。神風連、特攻隊に連なる精神、自らの命を賭して日本を護(まも)る魂の在り方に三島が衝撃を受けたのです。 西洋を知れば知るほど、日本人としてのアイデンティティーに目覚めたのです。日本の文化、伝統が世界で希有(けう)な遺産であることを。 三島が命を懸けて訴えたかったことはマッカーサーが作った憲法の呪縛や自衛隊など米国の「属国」のようになった戦後日本の在り方でした。ただ反米ではありません。連合国戦勝史観からの脱却でしょうか。三島が人々に理解されるには、200~300年かかるかもしれません。

☆和製ジェームズ・ボンド養成を

 〈安倍晋三首相の父親の安倍晋太郎元外相、祖父の岸信介元首相を取材した唯一の外国人記者だ〉

 岸信介氏に日本に来たばかりの頃インタビューしました。満州を開発した手腕はナチス・ドイツの首都を改造する「ゲルマニア計画」を進めたアルベルト・シュペーアに匹敵して日本の政治史に名を残しています。2度目の総理を務める安倍首相は運を持っていて国際社会で存在感が増しています。アベノミクスを主導する発信力は日本の指導者として久しぶりです。 米上下両院合同会議で行った安倍首相の未来志向の演説は、米側から高い評価を受けました。問題は中国を訪問する際、どう発言するか。対中外交で真価が問われます。

 〈「慰安婦」「南京事件」で中韓の反日プロパガンダが続いている〉

 ようやく日本も反論を始めましたが、まだまだです。いまなお中国が情報戦で圧倒しています。世界中の人々が、南京で30万人が虐殺され、慰安婦が強制連行されたと信じて国際世論が変わる兆しは見えません。

 〈日本が最も遅れているのがインテリジェンス(諜報)だ。七つの海を支配した英国は情報によって植民地統治を練り上げたことはよく知られている〉

英国の諜報力が世界で最も優れているのは、島国であることと関係しています。周辺諸国が侵略を試みた歴史から祖国防衛には他国が侵略の意図を持っているか事前に把握する必要があり、情報収集が最優先になったのです。日本も同じ島国なので、英国をモデルに諜報の強化を図ってほしい。


◇1938年、英国サマセット、グラストンベリー生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年にフィナンシャル・タイムズ入社、64年、初代東京支局長。67年、タイムズ東京支局長、78年、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者として知られる。著書に「三島由紀夫 死と真実」「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」、編著「光州暴動」、共著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」「目覚めよ!日本」「連合国戦勝史観の徹底批判!」など。=6月掲載記事を再掲載



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